なぜ中日ドラゴンズが弱体化し、暗黒期が到来したのか理由を徹底検証
プロ野球2018年シーズンも終盤に差し掛かってきた。セリーグは今年も広島が三連覇待ったなしといった展開で、ヤクルト、巨人、横浜DeNA、阪神の4チームがクライマックスシリーズ出場の切符をかけて上位争いを繰り広げているなか、中日ドラゴンズがCSに食い込むには厳しい展開となっている。
最近の小中学生にとっての、ドラゴンズというのは所謂「弱い球団」であり、ドラゴンズにだけは負けてはいけないといった風潮もあるほど、近年このチームは弱体化してしまった。
なぜなのか?
なぜあそこまで黄金期を築き上げたチームが、今や最下位争いを繰り広げ、6点差でリードしていた最終回に追いつかれた挙句、サヨナラ負けをしてしまうようなチームになってしまったのか?
中日ドラゴンズファンになってからこの15年でまさに天と地を見ている一ファンとして、わたしなりに中日ドラゴンズ弱体化の真相を分析してみた。(かなり偏ってますのだお許しを)
1. 落合政権が残した負の遺産とドラゴンズ弱体化
(https://number.bunshun.jp/articles/-/277735出典)
落合博満氏が監督を務めた2004年から2011年までの8シーズンの成績は輝かしいものだった。
実に、8年連続Aクラス、リーグ優勝すること4回、日本一4回という輝かしい成績を残し、だれもが中日と試合をするのが嫌だ、ナゴヤドームで中日と闘うとなぜか負けるといった「強いドラゴンズ」の印象を持っていた。
川上憲伸、山本昌、中田賢一、吉見一起、チェンウェインなど、球界代表する先発ピッチャーを常に揃え、中継ぎには落合英二、平井正史、高橋聡文、岡本真也、浅尾拓也など、そして長年クローザーを務めた岩瀬仁紀を擁し、守り勝つ野球を合言葉にどの球団よりも勝ちをものにしてきた。
野手もアライバこと荒木雅博と井端弘和を1,2番に抜擢し、昨年引退した森野将彦がレギュラーとして活躍し出したのも落合政権時代。
(http://saitomo0908.com/player/baseball/17250/出典)
そして、なによりも凄いと感心させられたのがベテラン再生工場と言わんばかりの指導力で佐伯貴弘、河原純一、小池正晃などを戦力として起用、2007年に行き場の無かった中村紀洋を育成選手として獲得し、チームのレギュラーとして活躍させ、最終的にこの年の日本シリーズMVPとして復活を遂げたことは落合監督を語る上で欠かせない。
そんな落合監督が2011年で退任、その後Bクラス、最下位へと陥落していったドラゴンズ。
わたしは落合監督が大好きで、落合博満こそ、強い中日ドラゴンズの象徴だったと信じているが、個人的に分析するに、落合監督がこのチームに残した負の遺産が少なからずある。
まずは、2004年、2007年、2011年と四年ごとの日本シリーズにスタメンで出場していた選手を紹介しよう。
(以下は左から打順、守備位置、名前)
04
1 (二) 荒木雅博
2 (遊) 井端弘和
3 (三) 立浪和義
4 (中 アレックスオチョア
5 (一) オマールリナレス、森野将彦
8 (捕) 谷繁元信
07
1 (二) 荒木雅博
2 (遊) 井端弘和
3 (左) 森野将彦
4 (一) タイロンウッズ
5 (三) 中村紀洋
6 (右) 李炳圭
8 (捕) 谷繁元信
11
1 (二) 荒木雅博
2 (遊) 井端弘和
3 (三) 森野将彦
4 (一) トニブランコ
5 (左) 和田一浩
8 (捕) 谷繁元信
※外は外野手の意
8年間の打順を四年ごとに見てわかるように、荒木、井端、森野、谷繁は8年を通して固定されていた。
また、落合監督自身も「この4人は決まりです」と2009年の春季キャンプのインタビューで公言している。
入団時から控えや二軍に甘んじていた荒木や森野を鍛え上げ、およそ8年間もの間レギュラーとして試合出場できる選手に育て上げた落合監督の力量は賞賛すべきだが、逆をいうと、それ以外に選手が育たなかったことを意味する。
特に荒木は8年間で唯一1人だけ、毎年規定打席に到達していた、
ここまでセリーグで毎年優勝争いを繰り広げるチームの中心選手として活躍し続けることは誰にでもできることではないが、長年レギュラーを固定し続けた代償は大きい。
2018年現在、第二の荒木が登場していないのも事実
現に落合監督退任後に、レギュラーを張っていた荒木が30歳を超え、和田、森野、谷繁も40歳を迎え、それぞれ数年後に引退を表明している。
その後はアライバコンビを彷彿とさせるような内野手はこのチームにいない。
この過去10年で、中日が獲得した主な内野手をみてみよう。
2005 新井良太
2006 堂上直倫
2010 吉川大幾、森越祐人
2011 高橋周平
2012 溝脇隼人
2015 阿部寿樹、石岡諒太
2016 京田陽太、石垣雅海
尚、荒木、井端、立浪、森野などが活躍した2004年から2016年まで実に16人もの内野手を獲得したものの、いま一軍で一年を通して活躍している選手がいるかといったら、目立った選手はいない。
唯一嬉しいニュースがあるとすれば、昨年日本大学からドラフト二位で入団した京田陽太が球団の新人最多安打記録を塗り替え、新人王を獲得したことくらいだろう。
彼には今後、中日の中心選手となることができるのか、
落合政権が残した負債はレギュラーの固定だけではない。中心選手を酷使したことによる怪我の影響もドラゴンズ弱体化の要因といっても過言ではないだろう。
1つ例を挙げると浅尾拓也がいい例ではないだろうか。
2009年には開幕投手を務め、シーズン途中にセットアッパーに転向。中継ぎエースとしてこの年はリーグ最多の69試合に登板した。
翌年2010年は72試合に登板し、2011年には79試合に登板し、セリーグMVPに輝いた。
ロングリリーフの日も少なくはなかった、特に中継ぎの一角だった高橋聡文が故障した2011年シーズンは79試合に登板し、投球イニングは 87.1回。
いくら体力のある選手とはいえ、酷使と言わざるを得ないだろう。確かに、あの頃の浅尾は完璧だった。岩瀬よりも浅尾のが安心と言っていいほど、浅尾が登場すれば安心して試合を観ることができた。
千葉ロッテマリーンズとの2010年の日本シリーズ第4戦では高橋聡文とのリレーで何度もピンチを救い、勝利を手にしたのはドラゴンズファンにも、そしてマリーンズファンにも忘れられない試合だろう。
(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/浅尾拓也#)
浅尾は2012年の不調、そして2013年に肩の故障を発症して以来復活の意図をたどっている。
同じく左のセットアッパーを務めていた高橋聡文も2008,09,10年と50試合前後の試合に登板し、2011年に左肩痛に悩まされた。
浅尾と同じく、吉見一起もこの類に当てはまる。
同時に岩瀬仁紀も2012年に35歳を超え、衰えがみえはじめる。2013年まで1〜2点台だった防御率が2014年より3点台を超え、2017年の失点は抑えを務めるようになった2004年に次ぐワースト二位となる19点)
新ストッパーと言われている田島もパッとしないまま。
これは、投手権限全て当時投手コーチであった森繁和ヘッドコーチに任せていたので、落合監督の責任ではないかもしれないが、この時代に酷使された選手たちが戦線から離脱したことによるチームへの影響は少なくない。
2. 落合監督退任後の中日弱体化、暗黒期へ突入
2011年、落合監督の退任と同時に、左のエースだったチェンウェインがメジャー挑戦を表明し、吉見、浅尾のケガ、主力だった谷繁、和田、森野、荒木らが35歳を超え、衰え始めたときに監督に就任したのが高木守道だった。
高木守道政権時代はこのような影響から優勝を逃し、就任2年目の2013年にはBクラス転落という成績を残し、辞任。
当時、戦力として残っていた井端弘和がベンチ内で監督と揉めるシーンが全国ネットで放映されて以来、選手と監督との確執も噂されていた(このシーズン終了後、井端は巨人に移籍)
同時に、歳になった山崎武司を獲得したおかげで、4番を務めたトニブランコの出場機会が激減し、ブランコをDeNAへ放出。山崎武司も引退した。
(ブランコは推定年俸2,500万円で入団し、初年から本塁打王に輝いた)
だれもが「ジョイナス(高木監督の俗称)のせいで中日は退化した」と同氏を猛批判したが、跡を辿ればその根源は黄金時代を築きあげた落合政権に行き着くのだ。
どうすればこのチームは強くなるのか?
3. 中日新聞の球団運営からみるドラゴンズ弱体化の真相
読売ジャイアンツやソフトバンクのように、巨額の資金を投じて、選手を集めれば戦力アップに繋がるかもしれないが、この会社の親元は中日新聞である、詳しい売り上げは公開されていないものの、球団の財布を握るのが親会社、こそもそもお金がないと言われ続けている。
ちなみにドラゴンズの
2018年の年俸総額は22.3億円で12球団中11位、
2017年の年俸総額は21.8億円で12球団中最下位だった。(一位はソフトバンクの63億円、二位が巨人の46億円)
昔から、このチームは安い年俸でいい選手を獲得してくる。
ネルソンとトニブランコが有名な例だろう。
実はこれらの選手は皆ドミニカをはじめ中米に毎冬視察に出かけている森繁和コーチ(当時)の掘り出しものであり、初年度から大活躍をみせるものの、ゲレーロなどは残念ながら高額で他のチームに放出してしまった。
ちなみに、松坂の獲得は最高だったと言っていいだろう。
(https://www.nikkansports.com出典)
既に松坂が登板するホーム開催の試合では、平均30,000人以上の観客を動員している。
これだけでみると、年間の平均観客数を上回っている。
グッズの売り上げでも2億円程度の増収効果は見込むことができると言われており
年俸1500万円で獲得した「平成の怪物」のおかげで、年間通じて8〜10億円近くの増収が得られるというのだ。
数字を詳しくみたい方はこちらのリンクへ
Moneyball in Japan “平成の怪物”松坂大輔”がもたらす経済効果” | スポヲタ情報局| スポーツニュース
少し話が逸れてしまったが、
たとえ、チームの収益があがり、大型補強を行ったところでチームは強くなるのか?
やはり、このチームを本当に生え抜きの選手を育てるしかないのだ。
球団体質と中日コーチ陣の組閣と日本球界
(https://www.nikkansports.com出典)
中日のコーチ陣の組閣にはだれもが疑問を持ったことがあるはずだ。
この球団に経験豊富な優秀なコーチを招聘する気はない。
落合監督時代は「就任する際に、だれをコーチに呼んでも文句を言うな」と球団幹部に伝え、球団OBだった鈴木孝政を一年で切り捨て、腕のあるコーチ陣を招聘した(主に辻発彦(現西部監督)、高代延博(現阪神守備走塁コーチ)など)
だが、一度発言力の強い監督が辞めてしまえば、やれ地元枠だ、OB枠だという理由から再びコーチは中日OBを中心に組閣され、朝倉健太などというコーチ経験のないようなOBを迎えたおかげで、「ロドリゲスのがよかった」という理由だけで、対右打者の苦手なロドリゲスをマウンドにあげる(先日のヤクルト戦より)
中日の投手陣は崩壊した。
そもそも近年 日本球界には指導経験の積んだ指導者が監督になる < ネーミング の印象が強い。
2017年のWBCの小久保裕紀もいい例だが、いきなりコーチ経験を積んだことない名選手が監督として好成績を収めるのはごく稀なケースだ。
MLBもコーチを経験をじっくり積んでから監督になり、やがて名将となるケースが多い。
日本球界にはそういった風潮がなく、一世を風靡した選手がそのまま監督に就任してしまう。
こういった記事に個人的な意見をあまり入れたくないものだが、ドラゴンズを強くするためには指導歴、指導力のある監督、コーチを他球団からでも招聘し、選手を一から叩き上げることが最重要なのではないだろうか?
もし、それでもなお、中日OBにこだわるようなら、川相昌弘現ジャイアンツ二軍監督や、井上一樹あたりが適任だと思うが、難しそうだ。
暗黒期のドラゴンズ、強竜は再来するのか
私は幼少期からナゴヤドームの他に、二軍球場であるナゴヤ球場にも通うほどのドラゴンズファンだ。
今回はとにかく中日、ならびに落合監督批判のような記事になってしまったが、私をはじめ、大のドラゴンズファンは近年悔しい思いをしているに違いない。
シーズン前から最下位と予想され、他のファンからは「中日は終わった」と言われはじめて数年が経つ。
暗黒期を抜け出すまでに数年かかるのか、あるいはまだ10年かかるのかはわからない。
広島は中日が黄金期を迎えていた2010年、2011年頃から今年の広島は面白いと言われ、ジワジワと成長を遂げたチームだが、いまのドラゴンズにはその予兆はあるのだろうか?
もちろん、暗いニュースばかりではない、黄金時代を知る平田良介がタイトル争いに食い込み、ビシエドやガルシアなど新外国人と台頭も目立つ。
ここ数年は小笠原慎之介、鈴木翔太、柳裕太などドラフト一位で有望な投手を獲得してきた。
もしかしたら強いドラゴンズ復活はすぐそこまで来ているのかもしれない。
一ファンとして、私はもう一度ドラゴンズが優勝する姿をみたい。名古屋のドラゴンズファンがナゴヤドームに詰めかけ、球団歌である燃えよドラゴンズを肩を組みながら歌いたい。
海外を拠点にしていることもあるが、もう10年近くナゴヤドームに観戦に出かけていないが、ニュースでナゴヤドーム開催の中日戦を観ると、観客席には空席が増え、どこか寂しい。
私が小学生だった頃の中日戦といえばほぼ毎試合売り切れ、阪神や巨人との首位攻防戦は必ずチケットが売り切れるほどだった。
大人から子どもまで、だれもがドラゴンズに熱狂していた。
この球団の課題は山積みだが、いつか川上憲伸のようなエースがチームの軸として活躍して、アライバコンビのような二遊間が誕生し、福留孝介や立浪和義のような打撃の軸になるような選手がチームを引っ張り、また「中日って強いよねほんとに」と言われる時代がやってくることを、1人のドラゴンズファンとして心から願っている。
(https://blogs.yahoo.co.jp/g1304842002/21553764.html 出典)
がんばれドラゴンズ
読んでいただきありがとうございました。